特集 ここからはじまるエンドオブライフ・ケア 超高齢少子化多死時代における“つながり”(中)
エンドオブライフ・ケア協会設立2周年シンポジウム
2017-06-13
【対談】
死別後のつながり-死の前後をつなぐものとは何か
モデレーター:長尾和宏氏(エンドオブライフ・ケア協会理事)
戸松義晴氏(増上寺塔頭 心光院住職)
金子稚子氏(ライフ・ターミナル・ネットワーク代表)

金子稚子氏の夫・金子哲雄氏は、がんの一種である肺カルチノイドを発症し、1年半の闘病後2012年10月2日に逝去した。その死の前後から、多くの人とのつながりが生まれた。


病気発覚時には死を覚悟 医療の非情さを知った

金子 私は医療、宗教とは全く関係のない仕事をしていたが、夫の病気が分かったときには次の瞬間窒息死をするかもしれないという病状だったので、急性期病院からも受け入れてもらえなかった。

そういった中で私の夫は、流通ジャーナリストであったし、私も編集者だった。亡くなっていく人とその妻という関係であったが、同時に2人とも取材者であった。医療というものがいかに非情であるかを知ったし、一方で医療機関の経営状態からみて、仕方がないという複合的な見方をしていた。

今日のテーマは「つながり」だが、戸松住職とは夫の生前、それこそ死が明確に視野に入ったところで、知人から紹介された。長尾先生とは、夫の1周忌のときに知り合った。まさに死別後のつながりだ。

長尾 ご主人の故金子哲雄さんは何のご病気で亡くなられたのか。

金子 肺カルチノイドというがんの一種だ。10万人に1人ぐらいの発症率だという。

長尾 抗がん治療は受けたのか。

金子 分かったときには9センチの腫瘍が、気道を圧迫する位置にあった。どの医師も治療はできない、緩和ケア科に行ってくださいといわれた。

長尾 ご本人は何といわれていたのか。

金子 「はい、分かりました」と答えていたが、何も治療ができないということに圧倒的な恐怖を覚えていた。それでも大阪にいる血管内治療の医師と出会って、1年半ほど命を長らえることができた。

胸部CTの画像を見て、やる治療はないという判断の中で、血管内治療の先生は「完治は目指せない。それでもやってみましょう」といってくれた。そういってもらえただけでもうれしかった。何もしないで死ぬのを待つだけだったら、大変な苦痛、苦しみであった。

長尾 最終的には在宅医療となった。

金子 大阪の病院で月に1回治療を受けていたが、気道に腫瘍があるため窒息の危険性は日常であった。どうしたらいいのか聞くと、駄目かもしれないが今まで掛かった医療機関に聞くようにいわれた。

しかし責任を負えないと医療機関に断られ、最終的には訪問看護師を紹介された。この方が最期まで看取って下さった。


夫から死後を託された思いが遺族である私を支えている

金子 「死別後のつながり」というテーマは難しいので、戸松住職のほうから、さまざまな遺族の様子をご紹介いただけないか。

戸松 100の家族があれば、それだけの形がある。死というものは、本人にとってもご家族にとっても究極的なことで、そのときに本当の姿が出てしまう。普段からコミュニケーションをとり、互いの思いを知っておかないといざというときに対応ができなくなってしまう。

亡くなった方を中心に、心からの弔いをしていくことが最も大事だろう。

ただ1ついえるのは、ご遺族がその場で取り乱さないことは悲しんでいないのではない。その後の生活の中で本当にいなくなったんだなと悲しみを感じることもある。私たちとしては、これまではこうやりなさいという形式を追っていたが、今後はオーダーメードというか、ご本人、ご家族の考え方を知った上での対応が必要なのだと思う。

金子 私の夫は特殊であったと思うが、先ほどいった訪問看護師に、私にも話せないことを話していた。その中に戒名の話があった。本人が危篤になってから「戒名をつけるか」とかなり無理やり確認すると、つけるという。そこで戒名をつけたのだが、その後に実は戸松住職と出会い、死後は法要までしてもらっている。

戸松 ご存じと思うが、各宗派によってそれぞれの教義のもとで戒名がつく。私が金子さんを訪れたのは、亡くなる1カ月前だったが、そのときには違う宗派での戒名があった。あっと思った。ただ金子さんご本人もこの戒名を気に入っているという。私は、戒名を付け直さないとお経は挙げられないとはいえなかった。

金子 生前に戒名をもらうことは生前受戒というそうだが、夫自身は自分自身の通信簿という捉え方をしていた。そのことから夫は死後のことをさまざま考えはじめ、それが今の私の原動力になっている。夫から死後を託されているという思いが遺族である私を支えている。これも夫が残してくれたものだなと実感している。


いい病院、医師だった 信頼関係をどう築くか

金子 続いて遺族を支えるつながりを考えていきたい。本人がどうしたいのか、どう考えているのかを知るということは、私の経験上非常に大事だと思う。夫の場合は、告知時から死ということを意識したので、「死ぬ寸前まで仕事をしたい」という意志決定をした。それは最期まで明確だった。なので、血管内治療で完治は目指せないといわれても、目指さなくていい、ここで死ぬのを待つのではなくて、治療しながら仕事との両立をするということがすぐに決められた。病状の進行とともに、できないことも増えていったが、在宅に移ってからも、痛みなどはあっても、仕事を続けることを軸に、薬の処方などをしてくれた。おかげで亡くなる4時間前まで仕事をした。

また自らが病気であることは、対社会的には一切伏せた。所属事務所はそれを完壁に守ってくれた。またマネジャーも、最後まで一切の妥協なく仕事をしてくれた。そのことに対しては、深く感謝している。その意味では大切な人が亡くなっていく命の限りを、それぞれの立場で支えてくださった人たちに対しては、全面的な信頼の絆がある。それは今もなお変わらず続いている。

医療や介護は、患者・利用者の死によってサービスは終了するが、遺族の気持ちとしては、本当にお世話になった病院とは心でつながっている。

戸松 つながりといえば、遺族と亡くなった人とのつながりもある。私どもがしていることは亡くなられた人がどういう思いであったかということだ。ただ亡くなったからといって、すぐに私たちの中から消えるものではない。

亡くなっていく人も後に残していく家族などへの思いを持っているだろう。その思いのつながりは、ずっと続いていくと信じている。

その上で医療関係者、介護関係者にお伝えしたいのは、亡くなってお寺や火葬場に遺族が来ると、必ず病院や介護施設の話がでてくる。「病院でどうだった」「介護がどうだった」ということを、私たちに話していくのだ。実際には本人も家族も亡くなる前に医療行為だけではなく、さまざまなことに期待をしている。

その1つが信頼。本当にいい病院だった、いい医師だったといってもらえる信頼関係を築けるかどうかということではないだろうか。

(下)につづく

 

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